福島農園は、雲仙普賢岳の噴火災害を乗り越えて、平成8年8月8日に再建しました。そのことを胸に刻み、“福が多くの人に無限に広がるように”という願いを込めて、そして“8”という数字の縁起(横にすると∞=無限大、漢字では八=末広がり)にあやかって、名称を”ふくはちファーム”と改めました。
このシンボルマークは、平仮名の「ふくはち」に数字の「8」を組み合わせて漢字の「福」を形づくり、色使いに晴れやかな金色を取り入れてあります。
火山の麓に息づく桃園の、これまでとこれから。
ふくはちファームはもともと”福島農園”という名称でした。わが福島家は雲仙市深江町で代々農業を営み、養蚕をはじめ、葉タバコ栽培、肉牛の飼育に携わっていました。
ところが、平成2年11月17日の噴火に端を発した災害ですべてが一変。農業用機械をすべて失ったい、避難勧告地域に指定されたことで、飼育していた牛の出荷もできなくないことに。火砕流の恐怖に耐えながら日に一度、片道1時間をかけて牛の餌やりに行っていた日々は、忘れられません。
すべてが変わった、あの日
農業で再起を図ろうにも何も残っておらず、まして噴火がいつ終わるかも分からないため、両親はその後、知り合いのもとで働かせてもらっていました。私はその頃、よく「生まれ育った地域に帰れるだろうか?」と考えたものです。
それから約5年の避難生活を経て、現状の礎になる家屋が建ちました。「もう一度、先代から受け継いだ土地で農業を」との思いを胸に、父・敏郎は復興対策の一環として施行されたビニールハウス栽培への補助事業に、希望の光を見出します。
5年の歳月の果てに見えたもの
福島農園から“ふくはちファーム”となったいま、これからは時間をかけて観光農園を目指していきたいと思っています。それは、桃をはじめいろいろな作物の収穫体験が楽しめて、憩いと安らぎ、そして喜びに満ちた場所。現在おこなっている民泊の経験を活かし、いずれはファーマーズペンション(農業民宿)、あるいはファーマーズレストランにも手を伸ばしたいと考えています。私たちの仕事ぶりから「農業は面白い」「農業って楽しい」と感じていただければ、とても嬉しいです。
ふくはちファームのこれから
翌平成3年9月15日に発生した大火砕流。これにより当農園は、家屋はおろか手塩にかけて育てた牛たちまでも、奪い去られてしまったのです。
これは父である福島敏郎から聞いた話ですが、避難所に連れて行けなかった飼い犬“クッキー”にも牛とあわせて餌をやっていたところ、いつもは食餌後おとなしいのにその日に限って父母のそばを離れず、帰り際も1キロ以上の道を追いかけてきたそうです。もしかするとクッキーなりに、ただならぬ気配を感じていたのかもしれません。
悲しい別れも味わわされ……
噴火災害がもたらしたのは、甚大な被害と、ミネラルが豊富で水はけのよい土壌。関係者間でこの地でのハウス栽培に適した作物を検討した際、白羽の矢が立ったのは桃でした。とはいえわが家では、果樹への取り組み自体が初めての試み。今日までの道のりは決して平坦なもではなく、大きな挫折を味わったことも二度、三度ではありません。それでも、この農園、この土が育んだ作物に大きな関心を寄せてくれるみなさまに支えられ、20年あまりの歳月を歩んで来れたのです。
桃との出会いも、また運命
名称
ふくはちファーム
代表者
福島慎司
所在地
長崎県南島原市深江町戊3397-1
電話/Fax
0957-72-4178